ARCHIVES| これまでの上演作品

盛岡演劇鑑賞会

わたしの住む街 芝居のある街。
演劇は 仲間と観ると「文化」になります。

[第424回|11月例会] 

オペラシアターこんにゃく座

オペラ 森は生きている


原作|サムイル・マルシャーク
訳 |湯浅芳子
台本・作曲|林光
作 |横山拓也
演出|眞鍋卓嗣
出演|天野眞由美 山下裕子 河内浩 ほか
 

  • 2025年11月19日(水)
  • トーサイクラシックホール岩手 (岩手県民会館)大ホール

[第423回|9月例会] 

劇団文化座 「  母  」

佐々木愛 女優生活60年記念作品



  • 2025年9月15日(月・祝)
  • 18:00開場 18:30開演(1時間40分 休憩なし)
  • トーサイクラシックホール岩手 (岩手県民会館)中ホール



原作:三浦綾子
脚本:杉浦久幸
演出:鵜山 仁

あらすじ


ほれっ! 多喜二! もう一度立って見せねか!
みんなのために、もう一度立って見せねか!

1933年2月20日。小説家小林多喜二が特高警察によって虐殺された。拷問跡の残る遺体に、多喜二の母セキは寄り添い、ずっと頬を撫で擦っていた。

貧しさのなか、学校へも通えず、13歳で結婚し、懸命に働き六人の子を育てたセキ。そんな母の姿を見ながら、小林多喜二は小説を書いた。貧しく虐げられた人たちのことを思い、書き続けた。 

晩年、セキは息子多喜二を語る機会を得る。母さんを人力車に乗せて、この通りを走らせてやりたいと願った、多喜二青年の夢と愛の軌道──。 

無学の母は、問われるままに語り始める……。 

CAST

小林セキ|佐々木愛
私たち文化座は、かつて田端文士村と呼ばれた北区田端の一隅にアトリエを構え、
全国に向けて演劇を発信する小さな劇団です。
2007年、前代表 鈴木光枝が旅立ち、メンバーはすべて第二世代となりましたが、
創造の理念はそのまま引き継いでおります。
私たちの生きている日本が、いえ世界が、平和で差別のないものであることを願い、
演劇をとおして“日本 および日本人”を見つめていきたいと考えております。

小林多喜二|藤原章寛


チマ|姫地実加

タミ|高橋未央

ツギ|萩原佳央里

幸|市川千紘

三波|神﨑七重

三吾|小佐井修平

文化座からの寄せ書き

STAFF

美術=乘峯雅寛
衣装=岸井克己
照明=古宮俊昭
音楽=高崎真介
音響=原田耕児
協力:三浦綾子記念文学館

MESSAGE

愛というものが、

一体どれほどの痛みを引き受けることができるのか。


演出家*鵜山 仁氏(劇団文化座公演 №162 より)



 人は他人と、また世の中のしくみとぶつかって初めて、自分の思いどおりにはことが運ばないことを知る。それがつまり大人になるということで、だからみんなは傷つきながら大人になっていく。これはどうにも避けようのない成長のプロセスです。
 そして自分が傷つかないと、人の痛みはわからない。人生についてのすべての発見は、痛みを知るということから始まるようです。
 さて、この世の中にはさまざまな愛のかたちがあります。追いかける愛、待ち続ける愛、奪う愛、与える愛。人は愛することで傷つき、傷つくことでさらに愛を育む。現実の世界にはひとつとして完全な愛はないけれど、それを探し求めることが、人が生きる原動力になっている気もします。
 愛というものが、一体どれほどの痛みを引き受けることができるのか。その問題が、僕にとっては、なぜか文化座の志と重なります。
 小林多喜二につながる「母」の愛が、佐々木愛さんの創造を得て、今日の現実にどんな力を与えてくれるのか、新作の成果を楽しみにしています。

多喜二が死んでから、わだしはいつのまにか、/(神も仏もあるもんか)/という気持ちになっていた。ほんとに神さまがいるもんなら、多喜二みたいな親思いの、きょうだい思いの、貧乏人思いの男があんなむごい死に方をするべか。(略)いったい、誰が多喜二をあんな目にあわせていいと言ったのか、わだしは知りたかった。それが神さまだば、わだしは神さまなどいらない。絶対にいらない。

三浦綾子『母』より

TOPIX

 盛岡演劇鑑賞会は、かつて労演という名称で活動していました。1970年7月の例会では、東京芸術座の「蟹工船」(原作:小林多喜二)を迎えています。当時の会報に掲載された文書を一部抜粋して紹介します。


小林多喜二と当時の文化運動

詩人*壷井繁治氏
(『もりおか 労演』No.102|1970年7月号より 一部抜粋)



 小林多喜二の『蟹工船』の原作が発表されたのは、1929年5、6月号の「戦旗」(ナップ機関紙)誌上においてであった。彼はすでにその前年、10、11月号の「戦旗」に、共産党弾圧事件として今日歴史的に知られている「三・一五事件」を題材とした「一九二八年三月十五日」を発表して、センセイションを巻き起こし、プロレタリア文学の新しい騎手として注目されていた。


 当時ナップ(全日本無産者芸術連盟の略称)は、合法的な芸術団体であったとはいえ、絶えず支配権力による弾圧を受け、その機関紙「戦旗」もほとんど隔月に発売禁止されるほどの酷しい状況の下で、芸術・文学運動はすすめられていったのである。この運動に参加したものは大部分が二十代の若者で、また揃いも揃って貧乏のカタマリみたいな生活の中で、その運動をすすめた。警察による検束、勾留などは、いわば日常であった。


 多喜二は「一九二八年三月十五日」によって、それが権力者の非人間的な拷問を告発した作品であったがゆえに極度に彼らから増悪された。そして地下活動中、不幸にも捕らえられ、「一九二八年三月十五日」に登場する勇敢な共産党員とおなじようなあるいはそれ以上の過酷な拷問によって殺された。つまり当時のプロレタリア文学運動は、一人の作家がそのたたかいの過程で、いのちを捨てねばならぬほどの緊迫した状況の下ですすめられたのである。



REVIEW

多喜二を動かしたのは

イデオロギーではなくヒューマニズムであった。


古典演劇評論家*水落 潔氏(テアトロ 2023年8月号 より 一部抜粋)


 (2023年)上半期のベストワンという注文だが、一つに絞ることが難しいので異なったジャンルから三作品を選んだ。
 新作では文化座の三浦綾子原作、杉浦久幸脚本、鵜山仁演出の「母」を選んだ。小林多喜二の母セキを主人公にした作品で、佐々木愛の女優60年記念の舞台である。セキについてはこれまでも多くの人が書いているが、三浦作品はクリスチャンの視点からセキと多喜二(藤原章寛)を描いている。
 劇は戦後セキが記者のインタビューに答える場面から始まり、回想の形で秋田の貧しい家庭に生まれたセキが、様々な苦労を重ねながら六人の子(長男は天折)を育てていく姿が多喜二の人生と重ね合って綴られる。
 題名からも分かるように、この劇は苦難を超えて生き抜いた母のたくましさを描いたドラマである。セキは無学だがおおらかで明るい性質で子どもたちを信じ自分の考えに従って生きていく。こんな母に育てられた多喜二は「小さき者のために生きる」という考えを貫きその果てに虐殺される。
 多喜二を動かしたのはイデオロギーではなくヒューマニズムであった。作者はセキと多喜二をマリアとキリストに重ね合わせている。佐々木愛がセキの清らかな人物像を気負いなく自然体で表現し強い感銘を与えた。母鈴木光枝の「おりき」に匹敵する佐々木愛の「母」のドラマが生まれたことを称えたい。



CHRONOLOGICAL RECORD 

小林セキと多喜二 年譜



1873(明治6)年8月22日……多喜二の母・セキ、小作農、木村伊八の長女として生まれる(北秋田郡釈迦内村)

1886(明治19)年 12月……セキ、釈迦内から川口の小林家末松に嫁ぐ

1903(明治36)年12月1日……セキ30歳。次男の小林多喜二誕生(北秋田郡下川沿村―現大館市)

1904(明治37)年2月10日……日露戦争始まる

1907(明治40)年12月下旬……多喜二一家、小樽へ移住。セキ34歳 多喜二4歳

1910(明治43)年4月……多喜二、潮見台小学校に入学

1914(大正3)年7月……第1次世界大戦勃発

1916(大正5)年4月……多喜二、庁立小樽商業学校入学。在学中は絵画に没頭する。セキ43歳 多喜二13歳

1917(大正6)年11月7日……ロシア革命

1919年(大正8)年……多喜二、校友会誌「尊商」編集委員として、詩、短歌、小品を書き始める。

1921(大正10)年2月25日……『小説倶楽部』10月号に「老いた体操教師」が選外佳作第1席として掲載される。5月小樽高等商業学校(現小樽商科大学)に入学。多喜二17歳

1922(大正11)年7月15日……日本共産党創立

1923(大正12)年9月1日……関東大震災発生

1924(大正13)年3月……多喜二、小樽高等商業を卒業し、北海道拓殖銀行に勤務。小樽で多喜二主宰の「クラルテ」創刊。8月2日 父・末松逝去

1925(大正14)年3月……多喜二、上京。東京商科大学の試験を受けるが不合格。セキ52歳 多喜二22歳

1928(昭和3)年3月15日……3・15事件。日本共産党への大弾圧、検挙者1600人。3月に全日本無産者芸術連盟(ナップ)結成、5月『戦旗』創刊。多喜二の「一九二八年三月十五日」が11~12月号に掲載される。

1929(昭和4)年2月……日本プロレタリア作家同盟結成。4月20日、多喜二、小樽警察署に検束され家宅捜索を受ける。『戦旗』5~6月号に「蟹工船」掲載。9月戦旗社から『蟹工船』刊行(発禁)。11月16日 多喜二、拓殖銀行を解雇される。

1930(昭和5)年3月末……小林多喜二、秋田経由で上京。5月中旬 戦旗防衛巡回講演会で京都、大阪等を巡回した帰路、大阪で島之内警察署に検挙、拷問を受ける。6月に釈放されるが東京で再逮捕され、豊多摩刑務所に収監される(31年1月まで)

1931(昭和6)年4月末……杉並区馬橋に小樽から母セキを迎え、弟三吾とともに住む。9月6日 群馬県伊勢崎の文芸講演会で村山知義、中野重治らと検束される。10月 日本共産党に入党。この頃から地下活動に移る。

1933(昭和8)年2月20日……多喜二、東京・築地署の特高警察に逮捕され、同署で拷問により虐殺される。午後7時45分(29歳4か月)。遺体は馬橋の家に移された。

1934(昭和9)年2月22日 ……日本プロレタリア作家同盟解散

1945(昭和20)年8月6日……原爆投下(広島) 8月9日 原爆投下(長崎) 8月15日(敗戦)

1953(昭和28)年……原作・小林多喜二 脚本・監督 山村聡による映画『蟹工船』公開

1961(昭和36)年5月10日
……多喜二の母・セキ逝去(享年88)



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[第422回|7月例会]

文学座『昭和虞美人草』

拝啓 夏目漱石様 ── 、

ロックンロールしていますか?


夏目漱石は小説『虞美人草』で、明治維新というドラスティックな変化を経験した日本人像を著しました。劇作家マキノノゾミは、その設定を戦後の高度成長期が曲がり角を迎えた1973年の日本に置き換え、マニアックなロック雑誌を作る若者たちが、理想と現実のはざまで葛藤しながらおとなへと成長していくさまを、軽妙な筆致で翻案しています。
彼らの姿のなかに見え隠れする、国家や文明への深く鋭いまなざし、そして普遍的な、何かとても大切なこととは ── 。『殿様と私』や『再びこの地を踏まず -異説・野口英世物語-』など、極上のエンターテイメントを送りだしてきたマキノと演出家の西川信廣コンビが三度目のタッグを組みました。


作:マキノノゾミ 
演出:西川信廣


  • 2025年 7月28日(月)
  • 18:00開場 18:30開演(2時間45分 休憩15分)
  • トーサイクラシックホール岩手 (岩手県民会館)中ホール

あらすじ

時は1973年。青春期に The Beatles と出合い、The Rolling Stones や Led Zeppelin といった70年代ロックにどっぷりと浸かってきた代議士の息子・甲野欽吾は、盟友の宗近一、小野清三、浅井孝之とともにロック雑誌『エピタフ』を刊行していた。マニアックな同人誌の売れ行きは、言わずもがなかんばしくない。

ある日、小野と浅井が『エピタフ』を辞めると言い出してきた。一方、甲野の腹違いの妹・藤尾は、司法試験に向けて勉強中の小野に言い寄り始める。
しかし、小野には郷里に小夜子という許嫁に近い女性がいるのだった。

煮え切らない態度の小野に宗近が諭す。「そいつはロックじゃないぜ……」
昭和の敗戦から高度経済成長の絶頂と終焉に向かう時代のうねりのなかで、おとなへの階段を上っていく若者たちが織り成す悲喜こもごもを熱く描いた青春群像劇! 

CAST

甲野欽吾(ロック雑誌『エピタフ』の主宰者。代議士甲野大吾の長男):松浦慎太郎

宗近一(『エピタフ』同人。甲野の朋友):上川路啓志


光江(甲野家のお手伝い):髙柳絢子

浅井孝之(『エピタフ』同人。京都時代から甲野の朋友):細貝光司

小野清三(『エピタフ』同人。京都育ち。東大卒):植田真介

藤尾(甲野家の令嬢。欽吾の腹違いの妹):鹿野真央

甲野大吾(欽吾の父。代議士):加納朋之

甲野志津子(大吾の妻。欽吾の継母。藤尾の実母):赤司まり子

糸子(宗近の妹。写植オペレーター兼デザイナー):松本祐華

小夜子(小野の庇護者。高校時代は小野の恋人で許嫁):森寧々

STAFF

美術:奥村泰彦
照明:塚本 悟
音楽:上田 亨
音響:中嶋直勝
衣裳:山田靖子
舞台監督:寺田 修
演出補:インディー・チャン
制作:前田麻登
宣伝写真:宮川舞子 佐藤克秋
宣伝デザイン:三木俊一(文京図案室) 

MESSAGE

演劇鑑賞会の皆さまへ

演出家 西川信廣


 猛暑、物価高、コメ不足などなど、厳しさが私たちの生活を直撃していますが、皆さまお元気ですか。私たち文学座はいま、『昭和虞美人草』の稽古に励んでいます。三度目の公演になりますが、新キャスト3名を迎えて、初心に返って稽古に励んでいます。この作品は、夏目漱石の『虞美人草』を昭和のロック雑誌を作る若者たちの青春群像劇に翻案した、作者・マキノノゾミさんの傑作の一つです。
 東北、静岡、四国の鑑賞会の皆さま、劇場でお会いできるのを楽しみにしています。また今年は、『昭和虞美人草』に続いて『欲望という名の電車』『華岡青洲の妻』と続いて鑑賞会の皆さまにお世話になります。どうぞよろしくお願いします。
 今、演劇を取り巻く状況はとても厳しくなっています。でも、私は絶望はしていません。こんな厳しい時代であるからこそ、演劇の「人と人を繋げる力」が必要とされていると考えるからです。鑑賞会の皆さんと力を合わせて、演劇の輪を広げていきましょう。

『昭和虞美人草』の演出家 西川信廣(前列右から2番め)と出演者たち

MESSAGE

運営サークルの皆さまへ

文学座企画事業部 前田麻登


 文学座企画事業部の前田麻登(まえだあさと)と申します。この度は、『昭和虞美人草』を例会として迎えてくださりありがとうございます。運営サークルの皆さまと共に良い例会づくりをし、例会当日を笑顔で迎えられるように、私たち劇団も精一杯頑張ります。どうぞよろしくお願いいたします。 
 今回お届けします『昭和虞美人草』の時代設定は1973 年です。この時代に青春を謳歌していた方々には感慨深い時代でしょう。高度経済成長の終焉期であり、日本そのものが大きな転換期となった時代です。まさに私の両親の青春時代です。両親から、どんな青春時代を過ごしたか、ということは恥ずかしくて聞けませんが、この作品を通して自分のルーツである両親の若き日を重ねてみたりしています。 
 “大人になるということは”“真面目でいる”ということはどんなことなのかが描かれているこの作品は、現代に生きる私たちの「襟を正してくれる」作品です。宗近のセリフにこんな一説があります。 
 「いいかい。世の中には真面目がどんなものか知らずに一生済んじまう人間がゴマンといる。ハートのないやつ、ハートということがわからんやつ、そういう上っ面だけで生きているやつは、ただ人間の形をしてるってだけの人間モドキだ。ハートがなければだが、あるのにそんなものになるのはもったいない。そうじゃないか。ええ? それにね、真面目になったあとは心持ちがいいもんだぜ? 嘘じゃない。自分で経験してみないうちはわからない。君には真面目になった経験があるかい?」 
 まっすぐに届く宗近のセリフをはじめ、青春時代という輝きの中で懸命にもがき、生きる登場人物たちの姿は、私たちに今までの人生を振り返らせてくれ、そして明日からの人生にエールをくれる、そんな芝居です。どうぞ、お楽しみに。 
 運営サークルの皆さま、青春時代のような輝きをもって、もがき、そしてこれから先の未来へ向けて共に進んでいきましょう! 例会当日お会いできるのを楽しみにしています。 

TOPIX

『昭和虞美人草』を理解するためのキーワード

>>> いずれも夏目漱石『虞美人草』より

[虞美人草]

 逆に立てたのは二枚折の銀屏である。一面に冴え返る月の色の方六尺のなかに、会釈もなく緑青を使って、柔婉なる茎を乱るるばかりに描いた。不規則にぎざぎざを畳む鋸葉を描いた。緑青の尽きる茎の頭には、薄い弁を掌ほどの大さに描いた。茎を弾けば、ひらひらと落つるばかりに軽く描いた。吉野紙を縮まして幾重の襞を、絞りに畳み込んだように描いた。色は赤に描いた。紫に描いた。すべてが銀の中から生える。銀の中に咲く。落つるも銀の中と思わせるほどに描いた。── 花は虞美人草である。落款は抱一である。

[藤尾]

我の強い藤尾は恋をするために我のない小野さんを択んだ。……藤尾の恋は小野さんでなくてはならぬ。

[真面目]

「小野さん、真面目だよ。いいかね。人間は年に一度くらい真面目にならなくちゃいけない場合がある。……小野さん、真面目になるのは。世の中に真面目は、どんなものか一生知らずに済んでしまう人間がいくらでもある。……真面目になった後は心持ちがいいものだよ。君にそういう経験があるかい」

[喜劇と悲劇]

……すべてが喜劇である。最後に一つ問題がある。── 生か死か。これが悲劇である。
 十年は三千六百日である。普通の人が朝から晩に至って心身を労する問題は皆喜劇である。三千六百日を通して喜劇を演ずるものはついに悲劇を忘れる。……二カ月後甲野さんはこの一節を抄録して倫敦の宗近君に送った。宗近君の返事にはこうあった。── 「ここでは喜劇ばかりが流行る」

REVIEW

 

盛岡演劇鑑賞会*さい


70年代の若者たちの生活に見え隠れする「戦後」を通して、様々なドラマとメッセージを感じられる面白い脚本だった。体制側の権化である与党政治家の父を持ちながら、ロックやカウンターカルチャーに傾倒する主人公の甲野青年。序盤父は突然の病で帰らぬ人となり、息子はロック雑誌の編集長として新しい価値観を模索する過程で、戦渦を生き敗戦という「国民的悲劇」を体験した父世代の生き様と、父が自分に何を伝えたかったのかを考えるようになる。
 ここでの父の肖像画の演出は秀逸で、暗転の度にぼんやり照らし出される父の眼差しは、はじめは死後も息子を監視するような圧迫感を覚えさせるが、終盤には息子を見守る温かい存在として浮かび上がり、甲野青年の「成長」に伴う視点の変化と上手くリンクしていた。
 その他の登場人物も全員がドラマを秘めていて、物語の中で何度も矛盾しながら成長する姿が、役者陣の演技も相まって、なんとも人間臭く愛おしい良い舞台だった。

REVIEW

 

盛岡演劇鑑賞会〈裏窓〉*さいとうひろみ


現実を見抜く宗近は、朗らかな声で語りかける人で、道化のような狂言回しにも感じられます。鉄吾は御曹司の優しくも冷めた風情を見せながら、自分を殻に閉じ込めているような印象。小野は、真面目で優秀な人物でありながらプライドとコンプレックスが垣間見えます。
 音楽で結ばれた三人の人物像が交錯します。甲野家の令嬢藤尾はプライドが高く、世間にも周囲にも敏感。相対するように小夜子は過去に執着、世間知らずにも見えます。
 それぞれが時の波に流されながら、もがき生きる姿から昭和の時代が浮かび上がってきます。やがて亡くなる鉄吾の父大吾、甲野家を守ろうとする志津子、この夫婦の家族への思いも描き出され演じられることによって、激しく揺れ動いた昭和の時代が、高度経済成長によって日本の復権が叶う時代でもあったことが感じ取れました。
 文学座の柔軟さと底力に触れることのできた舞台でした。

*******

[第421回|4月例会]

劇団東演『獅子の見た夢』

      ─戦禍に生きた演劇人たち─ 


命をかけて芝居をやり続けた新劇人たちがいた!

戦争一色のなか、自由を奪われ、検束の危険を冒しながら、
それでも芝居をやり続けようとした新劇人たち。
劇作家の三好十郎、俳優の丸山定夫、演出家の八田元夫らが炎のように向かった先は……。



原作:堀川惠子『戦禍に生きた演劇人たち』(講談社文庫より) 
脚本:シライケイタ 
演出:松本祐子 


  • 2025年 4月17日(木)
  • 18:00開場 18:30開演(2時間30分 休憩15分)
  • トーサイクラシックホール岩手 (岩手県民会館)中ホール

あらすじ

昭和20年(1945)8月下旬、演出家の八田元夫は、世田谷赤堤にある劇作家 三好十郎宅にやっとの想いでたどり着いた。 広島から大事に抱えてきた風呂敷包みの中には、俳優 丸山定夫の骨壺があった。あの惨劇からまだ三週間も経っていない。挨拶もそこそこに、二人は骨壺を前に言葉少なに稀代の名優を偲び、まずい酒を酌み交わす。
 
突如男の声が割って入ってくると、時は前年(昭和19年)の秋にさかのぼる。丸山定夫は八田元夫に「苦楽座」の演出家として一緒に芝居をやろうと土下座までして説得する。しかし八田は、数年前に検挙投獄されて以来、演出家登録は取り消されていて、鑑札がなければ演劇活動はできないのだ。それでも丸山はあきらめない……。
 
一方、戦局がますます厳しくなるなか、苦楽座も大政翼賛会・日本移動演劇連盟に参加しない限り芝居を続けられない状況に追い込まれていた。せっかく創りあげてきた芝居もこのままでは上演できない…。
 「僕は芝居がしたい、したいんです」
 「それしかお芝居やれる手段がないんですよね」
 やがて皆の心は一つとなって、広島へと向かうのだった…。

CAST

豊泉由樹緒 (薄田研二)


豊泉由樹緒 (薄田研二)
能登剛 (八田元夫)
南保大樹 (丸山定夫)
星野真広 (三好十郎)

能登剛 (八田元夫)


南保大樹 (丸山定夫)

星野真広 (三好十郎)

STAFF

石井強司(美術)、中島俊嗣(照明)、山北史郎(音響)、有島由生(衣裳)、おかめ会・社中(お神楽指導)、早川さよ子[栗八商店](宣伝美術)、相川聡(舞台監督)、横川功(制作) 

TOPIX

特別例会 講演会 

劇団東演 代表
横川功氏をお迎えして
 

 

日時|2025年2月7日(金)15:00
場所|トーサイクラシックホール第一会議室

劇団東演代表 横川功氏をお迎えし、4月例会『獅子の見た夢』公演に向けて特別講演会を開催しました。劇団の誕生秘話や演劇の可能性など、作品をより深く鑑賞するためのトピックスが盛りだくさんの内容となりました。公演前にぜひご一読ください。

三好十郎の『獅子』から

劇団東演の『夢見る獅子』へ

劇団東演 代表 横川 功氏(2025年2月7日 特別講演より)

[1]演劇のために 未来のために 民衆のために

 大正13年(1924)6月13日、劇作家の小山内薫と演出家の土方与志が、東京築地に「築地小劇場」を創設しました。この劇場の誕生により、日本における新劇運動の幕が切って落とされることとなります。「演劇のために 未来のために 民衆のために」を理念に掲げ、新しい演劇と新しい俳優創造の拠点として、戦前から戦後にかけて日本の演劇界の原型をつくったのが築地小劇場でした。
  実験的な公演を次々に手がけ、数々の優れた作品を世に送り出し、昭和3年(1928)に小山内薫が急逝するまでの4年余の間に、上演された演目は120本以上。俳優はもとより、劇作家や演出家、舞台芸術家など多くの優れた人材を輩出しました。

※写真:築地小劇場(三省堂「画報日本近代の歴史9」より)

※写真:築地小劇場同人。左から浅利鶴雄、友田恭助、小山内薫、土方与志

[2]築地小劇場創設 

  築地小劇場創設時、第一期研究生の多くが二十歳代の若者たちでした。戦中戦後のさまざまな苦難を乗り越え、その後の演劇界を牽引していくことになるのも築地小劇場から旅立っていった彼らです。 

 

*丸山定夫(1901年生):築地小劇場第一期メンバーのひとり。広島に投下された原爆により壊滅した移動演劇桜隊の隊長を務めた。 

*山本安英(1902年生):築地小劇場の創設第一期研究生。戦後は木下順二作の戯曲『夕鶴』のヒロインつう役を千回以上にわたって演じる。 

*千田是也(1903年生):学生時代から土方与志の舞台美術研究所に通い、第一期研究生として第1回公演の『海戦』で初舞台を踏んだ。 

*杉村春子(1906年生):昭和2年(1927)研究生となり、『彼女』で初舞台を踏む。築地小劇場分裂後は、1937年の文学座創立に参加。 

*滝沢修(1906年生):築地小劇場研究生に次いで東京左翼劇場、新協劇団に参加。戦後は宇野重吉らと劇団民藝を創設して代表を務める。 


※写真:築地小劇場 1925年舞台『横っ面をはられる彼』の丸山定夫と東山千栄子

[3]築地小劇場のなりたち 

   演劇研究のためドイツに留学していた土方与志は、大正12年(1923)9月1日の大震災の報を受けて帰国。小山内薫と日本初の新劇常設劇場を構想し、その建設と劇団の育成に取りかかります。
    震災復興のため一時的に建築基準法が緩和されたことも後押しして、建物は着工から開場までが半年という極めて短い工期で完成しました。 
    築地小劇場は、帝国劇場のように国や自治体がバックボーンにある施設ではありません。伯爵家の出であった土方が、建設のために莫大な費用を出資していました。
    客席は480ほど。舞台には近代的な照明設備が導入され、喫煙室や売店なども備えた最先端の施設でした。俳優やスタッフには給料も支給されていたようです。入場料だけで運営をまかなうことはできませんでしたから、その補填にも土方の私財が投じられました。 


※写真:日本の新劇運動を支え、築地小劇場の運営に寄与した演出家の土方与志

[4]検閲と規制をかいくぐって

   観客とダイレクトに対峙し、声を届けることのできる演劇は、戦争に向かいつつある時代、もっとも警戒されていた活動でした。大正14年(1925)に治安維持法が制定されると、特高警察の監視の目はさらに厳しくなっていきます。
  自由、民主主義、平和といった台詞一つひとつに検閲がかけられ、声に出すことはできません。「これでいいのだろうか…」といった疑問を投げかける表現さえも、アジテーションにあたるとして規制されました。
  そのため俳優たちは、そうしたことばや表現を口パクやジェスチャーで演じることもあったといいます。衝撃のシーンを描写するため、赤い照明をあてたことで上演中止なった舞台もありました。「これは赤の宣伝だ」というのがその理由です。この時代、笑うに笑えないようなことが現実に横行していたのです。

※写真:築地小劇場の演目ポスター(ジャパンアーカイブズより)

[5]劇団の分裂と解散

    築地小劇場の演劇集団は、チェーホフやゴーリキーなど海外の翻訳劇を中心に新劇運動を展開していましたが、昭和3年(1928)小山内薫の急逝を機に分裂してしまいます。芸術路線の演劇、プロレタリア路線の演劇など、考えを異とするメンバーが新築地劇団や新協劇団といった新たなグループをつくり、この劇場で公演を続けていきます。
    当時の日本は不穏な空気に包まれていました。大陸では満州事変(日中戦争)が勃発し、プロレタリア作家 小林多喜二の拷問死が伝えられる。昭和15年(1940)8月、とうとう劇団関係者が一斉検挙されることになります。その数、百数十名。社会主義思想を基調とした劇団の活動は中止、強制解散を余儀なくされます。
    時代は戦争へと向かっていきます。大戦の激化にともない統制がさらに強まると、昭和15年(1940)11月、築地小劇場は国民新劇場と改称され、その頃に結成された文学座をはじめとする複数の劇団の公演場所となります。昭和19年(1944)12月の文学座の上演を最後に、建物は昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲で焼失してしまいます。

 

※写真:築地小劇場 チェーホフ作『犬』 の舞台

[6]移動演劇隊 苦楽座の活動 

    昭和15年(1940)に大政翼賛会が組織されると、人びとの生活や活動、表現手段といったあらゆるものが、国の新体制運動に組み込まれていきました。
    国民は一致団結して国勢を支えるべしとされる流れのなか、昭和16年(1941)6月、文化部長・岸田國士のもと日本移動演劇連盟が結成され、演劇活動も、労働者を励ますもの、士気を鼓舞するものが謳われるようになります。
   連盟に加盟している劇団は、戦況の悪化とともに地方への疎開を強いられ、疎開先を拠点に、全国の工場や学校、軍への慰問公演を続けていました。
   築地小劇場を離れた丸山定夫、薄田研二、園井恵子、徳川夢声、藤原釜足らは、昭和17年(1942)に苦楽座という劇団を結成します。園井恵子は岩手県出身ですね。彼女は宝塚少女歌劇団の大スターでしたが、新劇に身を投じ、演技派の俳優として人気を博しました。
   苦楽座は連盟への加盟に最後まであらがっていましたが、そこに与しないことには芝居ができないということで、やむなく加盟。疎開先の候補として残っていたのは中国地方、山陰山陽地方でした。


※写真:苦楽座の一員、岩手県出身の俳優  園井恵子

[7]八田元夫と桜隊

 苦楽座の移動演劇隊は、昭和20年(1945)2月から3月にかけて、広島公演をおこなっています。メンバー15人の広島駐屯を機に、同年6月「桜隊」と改称し、中国地方を中心に『獅子』(三好十郎作)や『太平洋の防波堤』(八木隆一郎作)などの演目を巡演しました。
  苦楽座の移動演劇隊、実はここ盛岡にも来ているんです。広島に向かう前につなぎ温泉で合宿していました。その折、八田元夫の教え子に乞われ盛岡の公会堂で『獅子』の通し稽古を見せたそうです。八田はその頃、執行猶予中。仮釈放の身で公の場に出ることはできませんでしたので、名を伏せて桜隊の演出家として同行していました。
   広島の疎開先でも、劇団の仲間のもとに赤紙が届くようになり、日に日に演者が去っていきます。丸山が発熱で床に伏している間、八田は俳優を探しに東京へ赴きました。
   そして昭和20年(1945)8月6日。広島に原爆が投下され、爆心地から750メートルの宿舎兼事務所に居合わせた丸山定夫、園井恵子たち9人全員の命が奪われます。
    東京にいた八田は被爆を免れました。私たち劇団東演は、八田元夫(1976年没)と下村正夫(1977年没)が東京演劇ゼミナールを発足したことから生まれた劇団です(昭和32年1959)。もしあの時、八田が東京にいなかったら。もしあの時、丸山定夫が床に伏していなかったら。私たちの劇団は生まれなかったし、いまここで皆さんとお会いすることもなかったでしょう。

 

※写真:疎開先の広島で巡演活動をしていた頃の桜隊メンバー。中央列左から3番めが八田元夫。前列左から2番めが園井恵子、右から2番めが丸山定夫

[8]『獅子』をめぐる演劇人たち 

 死を覚悟して戦地に向かった者が生き残り、「必ず生きて帰ってこい」と声をかけた者が亡くなる…人生、運命とはわからないものです。 
  広島に戻った八田の目の前には、焼け野原が広がるばかりで桜隊合宿地の跡形もありませんでした。行方不明の仲間を探し、仲間の死を見届けた八田が、その後「これが丸山定夫の遺骨だ」と言って、劇作家の三好十郎のもとをたずねる場面が、今回の上演作品『獅子の見た夢』のはじまりとなります。 
   作品のキーワードとなる『獅子』について少しお話しましょう。三好脚本による『獅子』の初演は昭和18年(1943)。苦楽座と同じ、昭和17年(1942)に結成した文化座による公演でした。文化座も苦楽座と同様、戦中の厳しい状況のなか活動を続けてきた劇団で、昭和20年(1945)、旧満州(中国東北部)の遠征先で敗戦を迎えています。
   桜隊も多くの三好作品を手がけました。『獅子』は、お雪という一人娘の駆け落ち話なのにもかかわらず、なぜか検閲を免れました。おそらく、駆け落ち先が満州開拓地だったからでしょう。当時は国の大政策として、多くの人びとが満州に送り込まれていましたから。
   三好はそういうところを突くのが実に巧妙したたかな作家で、戦争真っ只中の統制下、その手練た筆致で国の体制に異をとなえていたのだと思います。書くことが彼にとっての最大の抵抗だった、とも言えるでしょう。 


※写真:『獅子』をはじめ数多くの作品を手がけた劇作家の三好十郎 

[9]三好の獅子から東演の夢見る獅子へ 

  プロレタリア作家として出発し、のちに無頼派と呼ばれるようになった三好十郎は、その個性ゆえに敵も多かったのですが、八田とは妙に馬が合ったらしく『獅子の見た夢』でもそのやりとりがうかがえます。八田元夫、丸山定夫、三好十郎…登場するのはすべて実在した人物。そして『獅子』はその劇中劇として演じられます。
   原作はノンフィクション作家・堀川惠子さんの『戦禍に生きた演劇人たち』(講談社)です。広島のテレビ局のディレクターとしてドキュメンタリーを製作していた彼女は、桜隊について考証中、八田元夫のことを当劇団にも問い合わせてきました。八田の残した膨大な手記は、ずいぶん昔、早稲田大学の演劇博物館に寄贈されています。堀川さんは、倉庫の隅に追いやられていたそれらの資料を見つけ出し、一つひとつていねいに紐解きながら『戦禍に生きた演劇人たち』を著しました。
  そして私たちは、この作品の脚本を、いまもっとも活躍している劇作家シライケイタさんに託しました。こうした分野が得意なベテランもいるのですが、東演が一番に考えたのは、この話を次の世代がどう受け止めるか、だったからです。あの時代の演劇人が、厳しい状況をかいくぐりなから、どんな思いで芝居をやり遂げようとしたのか。そして、何がそうさせたのか。それがいまの私たちにとって、もっとも大事な関心でした。

 『獅子の見た夢』にはいろいろなシーンが出てきますが、それは教訓的なものではありません。あの時代に生きた人びとの姿をとおして、いまの自分は本当に生きているのだろうかと自問してもらえればいい。説明の多くないお芝居ですので、なんだろうと疑問をもったら、その答えをこのお芝居のなかに見出してもらえればと思います。
    築地小劇場ができて2024年で百年。この百年を受け止めながら、次につなげていかなくてはなりません。このお芝居が、いまを生きている皆さん同士であれこれ語り合いながら確かめ合う機会となり、場となって、これから生きていく勇気につながっていけば、これ以上の喜びはありません。 

 

※写真:東演の前身、東京演劇ゼミナール創設メンバー。前列右から1番めが八田元夫、3番めが下村正夫

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[第420回|2月例会]

劇団朋友

あん 

原作:ドリアン助川(『あん』©ドリアン助川/ポプラ社)
脚本:杉浦久幸
演出:大澤 遊


  • 2025年 2月15日(土)
  • 17:30開場 18:00開演 2時間 休憩なし
  • トーサイクラシックホール岩手 (岩手県民会館)中ホール

人はなんのために生まれてきたのだろう

「私たちはこの世を見るために、聞くために、生まれてきた。ただそれだけを望んでいた。…だとすれば、何かになれなくても、私たちには生きる意味があるのよ」
ミュージシャンのドリアン助川氏は、かつて社会から断絶、隔離されていたハンセン病患者たちの歴史的事実をもとに小説『あん』を著しました。心ない噂や真実に基づかない偏見に苦しめられながらも、生きることの尊さを訴えたこの小説は、世界13言語に翻訳され世界的ヒットとなりました。日本のみならず、地球上の各地で広がっている分断と格差──21世紀も四半世紀を経ようとしている今、生きることを問う場として、新たに初舞台化されます。

STORY あらすじ

線路沿いから一本路地を抜けたところにある小さなどら焼き店。千太郎が日がな一日鉄板に向かう店先に、バイトの求人をみてやってきたのは、70 歳を過ぎた手の不自由な女性・吉井徳江だった。
徳江のつくる「あん」のうまさに舌をまく千太郎は彼女を雇い、店は繁盛しはじめるのだが……。偏見のなかに人生を閉じ込められた徳江、生きる気力を失いかけていた千太郎、ふたりはそれぞれに新しい人生に向かって歩き始める。

CAST

吉井徳江=益海愛子



吉井徳江=益海愛子
辻井千太郎 =戸井勝海(東宝芸能株式会社)
ワカナ=敦澤穂奈美
ヒナ=鈴木千晶
ミク=長町美幸
高坂春子=水野千夏
田中卓也=村上和彌
須藤勝男=進藤 忠

森山千代子=西海真理

辻井千太郎 =戸井勝海(東宝芸能株式会社)

ワカナ=敦澤穂奈美

ヒナ=鈴木千晶

ミク=長町美幸

高坂春子=水野千夏

田中卓也=村上和彌

須藤勝男=進藤 忠

森山千代子=西海真理

STAFF

原作:ドリアン助川(「あん」©ドリアン助川/ポプラ社)
脚本:杉浦久幸
演出:大澤 遊
美術:小池れい
音楽:上田 亨
照明:磯野眞也
音響:黒澤靖博
衣裳:髙木 渚
舞台監督:笹原久義
企画:敦澤穂奈美・岸 ゆりえ
制作:夏川正一・岸 ゆりえ
製作:劇団朋友 

協力:株式会社ポプラ社 東宝芸能株式会社 劇団もっきりや 塔 和子の会 編集工房ノア

TOPIX

*ハンセン病

ハンセン病は、らい菌によって皮膚と末梢神経が侵される慢性感染症。進行すると手足や顔などに運動障害や奇形が現れる。感染力は弱く、治療法が確立された現在では完治する病気である。しかしかつては、一度かかったら治らない、天からの罰などといった間違った認識や噂、偏見により、長年隔離政策がとられていた。

*らい予防法

らいを予防するとともに、らい患者の医療や福祉を図り、公共の福祉を増進することを目的として1953年(昭和28年)に制定。1996年(平成8年)に廃止された。1960年には治療法が確立されており、遅きに失した感があることは否めない。

*国立ハンセン病療養所

ハンセン病患者を強制隔離するための施設は全国に13か所あり、居住コミュニティと医療機関で構成される。ピーク時には12,000人が入居していたが、2022年に1,000人を下回った。2021年での平均年齢は87歳。らい予防法が廃止されて30年近く経っても施設で暮らす人が多いのは、根強い偏見と差別、長年家族から引き離されていたことで行き場がないといった背景がある。あんに出てくる徳江は、実に14歳から70歳まで、家族から切り離され、社会から断絶されて施設で生きていた。

ドリアン助川さん
1962年生まれ。詩人・作家・歌手・明治学院大学国際学部教授。1990年「叫ぶ詩人の会」を結成し話題となった。小説『あん』は、2013年にポプラ社から刊行され、世界13カ国で翻訳されている。2015年に映画化。劇団朋友によって、コロナ禍の2021年に初めて舞台化された。

杉浦久幸さん
脚本家。1984年に劇団もっきりやを結成。「水面鏡」で1944年文化庁舞台芸術創作奨励特別賞受賞。「あなたがわかたっと言うまで」で1977年日本創作作家協会最優秀新人戯曲賞受賞。朋友では「わがパパわがママ奮闘記」「神様が眠っていた12ヶ月」他の作・脚本を手がけている。

大澤遊さん
選出家。日本大学芸術学部演劇科卒業。演劇ユニット「空っぽの人間 <EMPTY PERSONS>」主宰。主な作品に「君がいた季節」「まじめが肝心」「少年Bが住む家」他がある。平成28年度文化庁新進芸術家海外研修制度の研修員としてイギリスのDeby Theater にて1年間研修した。

MESSAGE

「あん」運営サークルの皆さんへ


劇団朋友 代表取締役 夏川正一


優生保護法は1996年まで存在した法律でした。その事実を目の当たりにしたときは大きなショックを受けました。多様性と共生が叫ばれる現代社会において、偏見が抜けきれない現実はまだまだ存在します。生活のなかで知らぬ間に教育され培ってしまった差別や偏見は、そうたやすくなくなるものではないことも事実でしょう。
多様性を認め合い共生していく社会は、人と人との間で生まれ、受け継がれていかない限り実現できないのではないかと思っています。 皆様の運営サークルの活動をとおして、『あん』の作品のなかにあるそんな思いを受け取っていただけると幸いです。その思いを語り、広げて受け継いでいくことが、わたしたちの夢であり、鑑賞運動ではないかとも思います。
劇団の創造活動も皆様の鑑賞運動も大変厳しい現実のなかにあります。皆様とともに、すばらしい例会にしてまいりたいと思いますので、よろしくお願いいたします。例会でお会いするのを楽しみにしています。

ARCHIVES これまでの上演作品

盛岡演劇鑑賞会 2024

わたしの住む街 芝居のある街。
演劇は 仲間と観ると「文化」になります。

[第415回|2024年2月例会]

トム・プロジェクト プロデュース

モンテンルパ

脚本・演出|シライケイタ
出演|大和田獏 島田歌穂 真山章志 カゴシマジロー 辻井彰太

二度と生きて故国の地を踏むことはできないと絶望していた彼らを救ったのは一曲の歌だった。その歌とは「あゝモンテンルパの夜は更けて」

  • 2024年2月9日(金)18:30
  • トーサイクラシックホール岩手(岩手県民会館)中ホール

[第416回|2024年4月例会]

人形劇団プーク

宮沢賢治原作「オツペルと象」より オッペルと象


脚本・演出|井上幸子
美術|若林由美子 
音楽|マリオネット
出演|大橋友子 滝本比呂美 柴崎喜彦 栗原弘昌 ほか
 
賢治とプークが贈る 今を生きるすべての人へのメッセージ。─おとなの童話─

  • 2024年4月22日(月)18:30
  • トーサイクラシックホール岩手(岩手県民会館)中ホール

[第417回|2024年7月例会]

劇団 民藝

泰山木の木の下で


作|小山祐士
演出|丹野郁弓
出演|日色ともゑ 桜井明美 千葉茂則
塩田泰久 マリオネット ほか
 
戦争の悲劇を美しい抒情で描く劇団の代表演目を再び

  • 2024年7月8日(月)18:30
  • トーサイクラシックホール岩手(岩手県民会館)中ホール

[第418回|2024年9月例会]

劇団 俳優座

雉はじめて鳴く


作|横山拓也
演出|眞鍋卓嗣
出演|天野眞由美 山下裕子 河内浩 ほか
 
教育現場を舞台に愛の本質を問う話題作

  • 2024年9月20日(金)18:30
  • 盛岡劇場メインホール

[第419回|2024年11月例会]

ASPイッツフォーリーズ公演

ミュージカル  おれたちは天使じゃない


  • 2024年11月17日(日)17:30 開場 18:00 開演
  • トーサイクラシックホール岩手 (岩手県民会館)大ホール


1974年に西村晃、有島一郎、前田美波里らの初演で話題を呼び、その後さまざまなキャスティングにより全国で1200回余の上演回数を重ねてきたいずみたくミュージカルの代表作。13年ぶりの再演は心機一転、青年座の金澤菜乃英が新演出を手がけ、新「おれたちは天使じゃない」となって盛岡にやってきます。

自分が苦しくて 泣きたいときも
ほほえんで抱きしめてくれる やさしい人
それは 翼のない天使なの
わたしにだけは見える その姿が

作詞:藤田敏雄 作曲:いずみたく
「翼のない天使」より一部抜粋

STORY あらすじ

ある年の大晦日、雪深い山荘に三人の脱獄囚が逃げ込んできた。「ねじ釘の哲」「泉の三太」「キャンパスの助六」の三人は、かつて殺人の咎(とが)を犯したこともある凶悪犯だった。偶然迷い込んだその山荘で、彼らは心ならずも心中しようとしていた父娘を助けてしまう。
遺書によれば、父親の明は借金を苦に自死を考えていたが、知的障害のある末娘の光子の行く末を案じ、親子で無理心中をはかったらしい。
意識を取り戻した光子は、自分を助けてくれた脱獄囚たちを “天使” だと思い込む。買い物から帰ってきた姉娘のエミは、父と妹が心中しようとしていたことを知って愕然とする。そして、家の中には見知らぬ怪しげな三人の男たち…。そこへ父娘が心中を図る原因となった人物、父親の従兄弟の黒川とその息子でエミの婚約者でもある始や地元の駐在が訪ねてきて……。

制 作

脚本=矢代静一
脚本・作詞=藤田敏雄
作詞=山川啓介
音楽=いずみたく
演出=金澤菜乃英(青年座)

美術=根来美咲(青年座)
振付=スズキ拓朗(CHAiroiPLIN/コンドルズ)/明羽美姫(イッツフォーリーズ)
音楽監督=吉田さとる
照明=中川隆一
音響=返町吉保(キャンビット)
衣裳=天野杏百子
歌唱指導=坂口阿紀
殺陣=梶武志
マジック指導=たかお晃市
演出助手=本藤起久子/鈴木彩子(イッツフォーリーズ)
アンダースタディ=塩嶋一希
舞台監督=久保年末(アートシーン)
イラスト・タイトルロゴ=やなせたかし

演奏=
吉田さとる(Key.)飯田緑子(Key.)水野久輿(Key.)
太田裕子(Pf.)田中和音(Pf.)
えがわとぶを(B.)佐藤哲也(B.)
中沢剛(Drs.)三木洋介(Drs.)

宣伝写真=日高仁
宣伝ヘアメイク=きとうせいこ
協力=オーチャード、青年座映画放送株式会社、劇団昴、株式会社フレーベル館、文化座、矢代静一事務所、有限会社やなせスタジオ
制作=松本崚汰
プロデューサー=土屋友紀子
企画・制作=株式会社オールスタッフ/ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズ

CAST

ねじ釘の哲 役=横堀悦夫(青年座)



横堀悦夫(青年座)

吉田雄(イッツフォーリーズ)
半澤昇(イッツフォーリーズ)
大川永(イッツフォーリーズ)
刀根友香(イッツフォーリーズ)
米山実(文化座)
金子由之(昴)
松田周(青年座)
町屋圭祐(昴)
荒川湧太
成観礼(イッツフォーリーズ)
杉尾優香(イッツフォーリーズ)
吉田美緒(イッツフォーリーズ/Wキャスト)
森島美玖(イッツフォーリーズ/Wキャスト)
宮村大輔(イッツフォーリーズ)

泉の三太 役=吉田雄(イッツフォーリーズ)

キャンパスの助六 役=半澤昇(イッツフォーリーズ)

大塚エミ 役=大川永(イッツフォーリーズ)

大塚光子 役=刀根友香(イッツフォーリーズ)

大塚明 役=米山実(文化座)

黒川虎男 役=金子由之(昴)

松田周(青年座)

巡査 役=町屋圭祐(昴)

[盛岡演劇鑑賞会 会員の皆さんへ]
ぼくが育った街、盛岡の地でステージに立てることに、
鑑賞会の皆さんには心から感謝しています。
ステージに立つ俳優と、生のバンド演奏とのセッション。
躍動するダンス、情念わきあがる歌、そして観客席にいる一人ひとりの存在。
それらが響き合い混ざり合って、その日その時にしか体験できないひとときになります。
ミュージカル「おれたちは天使じゃない」、劇場でぼくたちと一緒に感動しましょう!

コロス(囚人・天使)役=荒川湧太(オーチャード)

コロス(囚人・天使)役=成観礼(イッツフォーリーズ)

コロス(囚人・天使)役=杉尾優香(イッツフォーリーズ)

コロス(囚人・天使)役=吉田美緒(イッツフォーリーズ/Wキャスト)

コロス(囚人・天使)役=森島美玖(イッツフォーリーズ/Wキャスト)

コロス(囚人・天使)役=宮村大輔(イッツフォーリーズ)

TOPIX

*いずみたくさんのこと

ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズは、1977年に作曲家いずみたくが設立した日本のミュージカル劇団です。旧劇団名「いずみたくフォーリーズ」は、六本木の小劇場「アトリエフォンテーヌ」を本拠地に活動していました。永六輔と出会ったいずみたくは、1960年にミュージカル「見上げてごらん夜の星を」をつくります。1992年に亡くなるまでの32年の間に手がけたミュージカルは114本。日本人による日本語のオリジナルミュージカルの創作に生涯を捧げました。歌謡曲の作曲家としても知られ「見上げてごらん夜の星を」「ともだち」(坂本九)、「希望」(岸洋子)、「いいじゃないの幸せならば」(佐良直美)、「夜明けのスキャット」(由紀さおり)など数多くの名曲を残しています。(写真:いずみたく メモリアル25年 HPより)

*金澤菜乃英さんのこと

金澤菜乃英さんは1987年東京都生まれ。多摩美術大学映像演劇学科卒業後、青年座研究所・文芸部を経て、2015年青年座スタジオ公演『二人だけのお葬式~かの子と一平~』(作:吉永仁郎)で演出家デビューしました。主な演出作品に『飾りじゃないのよ、躯は。』『天一坊十六番』(作:矢代静一)他があります。「おれたちは天使じゃない」の再演は、2008年以来13年ぶり。初演以来、藤田敏雄の演出で親しまれてきましたが、今回、新進気鋭の演出家として注目される金澤さんに白羽の矢が立ち、新しいバージョンの「おれたちは天使じゃない」が誕生、盛岡で披露されることになりました。脚本、音楽はオリジナルのまま。装置、衣装、振り付けを一新し、サスペンス、コメディ、ロマンス、ファンタジーの要素がすべて含まれた舞台に期待が寄せられます。

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*原作と映画のこと

「ミュージカル おれたちは天使じゃない」の原作は、アルベール・ユッソンの戯曲『La Cuisine des anges』(仏1952年)です。サム・スピワックとベラ・スピワックによる舞台劇『My Three Angels(1953)』が、『We're No Angels(邦題:俺たちは天使じゃない 1955)』として映画化され、ハンフリー・ボガートらが主演しました。この映画を原案に、矢代静一が舞台を日本に移してオリジナル作品として書き下ろし、演出家の藤田敏雄と音楽家のいずみたくがミュージカル化したのが本作品です。1989年には1955年映画のリメイク版が製作され、ロバート・デ・ニーロとショーン・ペンが神父になりすますことになった脱獄囚を演じています。

*音楽のこと

「おれたちは天使じゃない」の初演は1974年。西武劇場(現PARCO劇場)の柿落とし公演として上演され、西村晃、有島一郎、前田美波里らの出演で話題となりました。1977年、いずみたくが「ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズ」を旗揚げして以降、日本オリジナルミュージカルの古典と称されてきました。さまざまなキャスティングにより全国で上演回数を重ね、そのステージ数は1200回におよびます。テーマ曲「翼のない天使」「今、今、今」は、スタンダードな楽曲として歌い継がれ、ものがたりとともにいつまでも心に残る名曲となりました。(写真:いずみたく ソングブック-見上げてごらん夜の星を-より)

REVIEW

「ミュージカル おれたちは天使じゃない」を観劇した方からの感想を一部(抜粋・編集)ご紹介します。

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天真爛漫な光子の勘違いで、サーカス団員と間違えられた脱獄囚三人。そこに登場したサーカス団員たちのファンタジーなダンスとマジックショー…そんな舞台に冒頭から引き込まれました。光子やエミをはじめ、それぞれの役の方々が歌う透明感あふれる澄んだ歌声、全員で合唱した「今、今、今」。力強く希望にあふれた美しいハーモニー、思わず手拍子しました。(山彦 S.Nさん)

今回の例会は本当に最高でした。入会して十数年になりますが、手のひらが痛くなるほど拍手の連続でした。それだけ感動する場面が多かったということです。コロナ禍で毎日の生活が息苦しく感じていましたが、発散できました。翌日は、身体も心もさわやかに軽くなりました。人の心を豊かにしてくれる、今の時代に最高の劇団です。感動をありがとう。(日日草 H.Sさん)

私は今までミュージカルは苦手で、なかなか親しみを覚えませんでした。しかし今回の観劇でミュージカルのすばらしさを感じました。馴染みのあるメロディや理解しやすい日本語による舞台に親近感を覚え、素直に感銘することができたからです。誰もが知っているテーマ曲「翼のない天使」のメロディにスムーズに気持ちが入っていくことができました。(フリージアII M.Mさん)

MESSAGE

「ミュージカル おれたちは天使じゃない」運営サークルの皆さんへ

盛岡演劇鑑賞会は、会員制のお芝居を観る会です。
すてきな演劇との出会い ─企画・運営は会員の手で─

盛岡演劇鑑賞会
〒020-0023 岩手県盛岡市内丸16-15 内丸ビル307(3F)
TEL 019-622-5073
FAX 019-658-8569

火曜日〜金曜日 10:30〜18:00(昼休み 13:00〜14:00) 土曜日 10:30~14:00
※2026年5月1日から開局時間が変わりました。
※日曜日・祝日、年末年始、お盆期間は休みます。